「あなたの思う『女性らしさ』は何ですか」と問われた時、あなたは何を思い浮かべますか。「笑顔が素敵」「可愛らしい」など様々な意見がありますが、おそらく多くの方が「料理が上手」「掃除が得意」といった要素を挙げるかと思います。
この2点は「家事が得意」という要素にまとめることができますが、家事の得意不得意は女性が男性とお付き合いをし、結婚を経ていく上で欠かせない要素のように捉えられがちです。
しかし「メシマズ嫁」という造語が作られてしまうように、家事が苦手な女性は少なからず存在します。
また一方で、「男性らしさ」を考える際には「家事が得意」といった要素は挙がりにくく、どちらかというと「仕事ができる」「責任感がある」といった「キャリア志向」のものが重要であると考えられがちです。
ただこちらでも、仕事ができない男性や頼りない男性というのは確実に存在します。この両者の存在は無視してはなりません。
女性は「家事」、男性は「仕事」。それが「当たり前である」ということ。この差や考えはどうして生まれてくるのでしょうか。
女性が家事をしなければいけないとされている理由
「母親」の存在
「女性らしさ」を考えるにあたり私たちの女性像の根幹を作り上げるのは、一番身近な女性である「母親」の存在が大きいように思われます。幼少の頃、自分たちを育てながら朝から晩までせわしなく家事を行っていた母親の姿を記憶している方は多いのではないでしょうか。
この様子が日常化してしまうと、「女性は家事をすべて行うべきである」という固定観念が生まれやすいように思います。ドラマなどを見ていても、母親が料理をしながらせわしなく子供や父親をせかしている描写は多く見受けられますよね。
また、筆者は祖母から「女の子は花嫁修業をしないといけないよ」と言われ料理を教わったことがあります。
このことから、男性だけでなく女性自身の中にも「家事は女性が行うもの」という概念は存在しているようです。一方で、男性が「旦那修行」として家事を学ぶという話はあまり聞きません。
ドラマにおいても、父親が台所に立つシーンは少ないことから何か共通するものを感じます。また、私たち自身の中でも「一般的な家庭のイメージ」を思い浮かべる際、日中家に居て家事や子育てを行う母親と、朝から仕事に出かけ夜に帰ってくる父親を想像する人は少なくないように感じます。
家事をしない過去
また、姉や妹は母親の家事を手伝っているのに、「男だから」という理由で父親とともに手伝いをせずに済んだ、という男性もいるのではないでしょうか。
筆者の周りにいる女性は「家で少し手伝っていたから」と一人暮らしを始めても家事をそれなりにこなしています。しかし男性はというと、家事の経験が浅いまま一人暮らしを始めるため、最初は意気込むものの時間がたつにつれてつい自炊を怠ってしまい、そのまま家事に対して苦手意識を持っているという人が多いです。
また、「彼氏が一人でいるとご飯を食べないから、パンの用意をしてから出かけるようにしている」と友人が話しているのを聞いたことがあります。
もちろん世の中には料理好きな「料理男子」も一定数存在しており、シェフと呼ばれる人の中には男性も多数いらっしゃるのは事実です。しかし、男性は家事が不得意である割合は女性に比べてそれなりに多いと考えてよいのではないでしょうか。
女性が家事をしなければいけないという考え方の問題点
ただここで一つ問題なのが、先ほども述べたように女性のなかでも家事ができない人がいるということです。
女性に対しては「料理女子」とわざわざ名前を付ける事がないように、社会通念として「女性にとって家事は当たり前のスキルとして備わっている」と考えられていることが分かります。
「男性が外へ出稼ぎに行き、女性は家を守りながらその帰りを待つ」
いかにも古めかしい思想のようですが、前述したことや自身の考え、そしてメディアを見つめ直してみると、その考えは現代社会の観念に深く根づいているように思えます。
そもそも「男性は仕事、女性は家事」という思想は、1898年に明治民法が施行され、「家」制度が定められたことから始まります。
この制度によって男性が家長として「家」の権限をすべて握ることが決まり、女性は男性への服従が課せられました。そこに「良妻賢母」思想も相まって「家庭を守って夫の社会的な労働や国家的な活動を支える」のが妻としてあるべき姿だと考えられるようになったのです。
さらに女性は母親として次世代を担う国民を育てなければなりませんから、母親的役割も国家全体から任されるようになりました。
こうして誕生した男女格差は、日本国憲法が施行されたことで男女平等が謳われるようになったものの消えることはありませんでした。
男性が一回の大黒柱として一家を養うことが「当然」とされた一方で、女性は家事と子育てに専念し、専業主婦として家庭を守ることも「当たり前」で「幸せ」であるとされました。
現代社会において、以前よりライフスタイルに多様性が生まれてはいるものの、私たち一人ひとりに備わっている固定観念によって「男性は仕事、女性は家事」という考えが完全に消えていないということがわかります。
女性の社会進出が進む現代では問題も
しかしこれはあくまでも男性一人で一家を養うことができていた時代に基づいて生まれた思想です。貧困にあえぐ現代社会においては通用させるとどうしても矛盾が生じてしまいます。
女性の社会進出に伴い夫婦共働きの家庭が増えていく中、男性が思い描く女性像はあまり変化しないまま。
「女性が家事を行うべきだ」という古い思想に加え「女性も男性と同じように働くべきだ」という思考が付加されてしまうと、女性は家事と仕事を完ぺきにこなさなくてはいけないようになります。
そうすると女性はスーパーウーマンシンドロームを引き起こしてしまいかねません。スーパーウーマンシンドロームとは、仕事と家事と育児の二重の負荷がかかってしまい、そのどちらも完ぺきにこなさなければならないジレンマに苦しむことです。
古くからの思想に苦しめられる反面、社会は常に流動していきます。女性に限らず、男性も苦しめられているのではないでしょうか。
性別で人生の選択を振り分けられ強制的に家事や仕事を強いられていては、ストレスがたまり生活の基盤自体が揺らいでしまう…なんてこともありえますよね。
「女性」「男性」という考え方をやめる
とはいっても、仕事から疲れて帰って来たときに温かいご飯と温かいお風呂が用意され、最愛の人の「おかえりなさい!」がほしいのは多くの男性の夢。それに見合う女性や環境があればいいのですが、現実を考えるとなかなか難しいですよね。
「女性だから家事をしてほしい」「男性だから仕事をしてほしい」と役割を決めつけてしまうのは結果的に互いの生活を縛ってしまいかねません。
勘違いしてはならないのが、決して家事をする女性が悪いわけでも、仕事をこなす男性が悪いわけでもないということです。しかし、それが「当たり前」であるという考えを用いて枠から外れた人間を批判する姿勢には異を唱えていく必要があるのではないでしょうか。
性別にとらわれず個々人に長所と短所があることを認め、それぞれの特性を活かした生活をすることが、関係を続けていく中で生じるストレスを最小限に抑えることにつながります。
「女性だから」「男性だから」ではなく、「あなただから」「私だから」と考えをシフトしていくことが、円満な付き合いを続けていく秘訣ではないでしょうか。